個人作家と民芸
一
私の考えでは、個人作家の立場や工芸美術家の位置は、今後極めて動揺す
るものと思う。又この動揺があってこそ、工芸界に一飛躍が果たされるのだ
と思う。時代は必ずや一つの問題を作家達に向かって巻き起こすにちがいな
い。そうして今までの「工芸美術」という自負した位置は、一度は瓦壊を余
儀なくされるであろう。なぜならそれは攻撃されるべき幾多の弱点を有ち、
又治療されてよい幾多の病気を有っているからである。併しこの瓦壊こそは
作家にとって新しい基礎の確立となるにちがいない。
この問題は恐らく経済学や社会学の方から今後益々追窮されると思うが、
私は美の方面からこの問題に迫ってゆきたい。歴史の通則として始めは古い
殻を固守する一群の人々から反抗を受けるであろうが、価値転倒が案外早い
現代のことであるから、戦いの結末はまもなくつくであろう。そうして新し
い立場の工芸家が時代から招かれるであろう。私は明確にそれを予感する者
の一人である。作家達の「工芸美術」という長い間の夢に対しては都合の悪
い趨勢かも知れないが、時間は抗し難い審判者となるであろう。それは作家
達への呪いではない。このことこそ却って新しい生命の出発を約束する。
二
さしづめ目覚めた個人作家にとって、一番大きな又怖るべき反律 Anti-
these は「民芸」である。民芸は実に作家達にとっては苦手である。なぜだ
というと、自分達は学問もあり見解もあり主張もあり個性もあるのに、自分
達が作るものが民芸品より優れたという場合が殆どないからである。なるほ
ど個性とか技巧とかいうような方面では驚くべきことを見せたかもしれぬ。
併し美に至ってはそうはゆかない。良心がある作家ならこのことには嘆息を
洩らすであろう。例えば有名な個人陶工が苦心して青磁を非常にうまく作っ
たとする。併しそれより遥かよいものを支那人の労働者が平気で作っている。
頴川がとてもうまい赤絵を描く。併し同じうまさのものなら支那の下手物に
沢山ある。利口な焼物師が絵唐津をうまく真似て得意になる。併しそんなも
のは昔の職人には平凡極まるものだったのである。私は先日孤蓬庵で不昧公
遺愛の品「喜左衛門井戸」を見たが、あんな並物が日本第一と折紙のついた
茶碗なのである。然もどんな名高い在銘の茶碗を傍に置いたとて、平気な顔
をしている。在銘品の恐るべき反律は無銘品なのである。このことは個人作
家にとって怖るべき現実ではないか。
このことを反省する時、どんな結論が得られるであろうか。美を産むため
には知識必ずしも頼りにならぬということである。個性必ずしも力にならぬ
ということである。美のために作ったもの必ずしも美しくないということで
ある。品物を比べて見ると、職人の無学はなぜか驚くべき仕事をしている。
そうして名も無い領域から不思議な美しさが溢れ出ている。そうして用のた
めに作ったものが、却って美のために作ったものより、一段と美しいという
結果を指し示している。自己を疑ってよい幾多のことが作家達の目前に現れ
てくる。
三
だがこの恐るべき事実は今までそっと匿しておいた観がある。明るみに出
しては個人作家の立場がむづかしくなるからである。それ所か一つの哲学を
早く樹てて了って、「工芸美術」の高等性を承認させ、一般の鑑賞の眼をく
らませて了ったのである。そうして工芸史を立派に個人工芸史に仕立てて了っ
たのである。それには近代の個人主義の勃興は甚だ都合がよかった。何も個
性個性で押し通せたのである。個性の無いものは存在の影が薄くなった。そ
れ故在銘のものが史上に高い位置を得てきたのである。これとて個性のない
無銘品は下積にされ、実用品は二義的なもので片がついたのである。
のみならず近代は意識時代である。個人工芸家の知的理解が職人工芸の前
にその優越性を感じたのも無理はない。意識された美は益々高く評価された。
作品は「生まれる」ことから「作る」ことへと進んでいった。
おまけに尖鋭な神経が文化人の特色である。かかる眼からすれば職人の作
物が鈍重の極みと思われたのも致し方ない。健康さは却って愚鈍さに見えた
のである。病的な美でなければ進んだ美とは考えられない。こういう傾きに
とって民芸が忘却の淵に沈んで、誰もそれを取り上げようとしなかったのも
無理はない。
併し時代は移ってゆく。もう一度ものをぢかに見る機会が来たのである。
いつも直観は惰性の埒外に働く。そうして忘れられた過去の手仕事が新たに
活々と見直される時が来たのである。今まで讃美されて来たものの中に様々
な病いが見られた。そうして蔑まれて来たものの多くに却って健やかさが感
じられた。そうして最も美しい工芸品の大部分が、無銘品であることを見届
けることが出来た。そうして個人作家よりも寧ろ民衆の方が、人知れず偉大
な仕事を果たしているのを知ったのである。今日まで私達が民芸の弁護のた
めに立ったのは、この目撃があったからである。これは慥かに在来の見方に
対しては反逆である。併し真理は偽ることが出来ない。凡ての個人作家はこ
の事実に対して一つの態度を決めねばならないのである。豊かな知識と賢い
技巧と細かい美意識と鮮やかな個性とを以てして、何故民芸に楽々と打ち勝
てないのか。何かそこには病気があるのである、欠陥があるのである。今後
この反省の有無こそは、個人作家の運命を左右するであろう。
四
これまでの作家達は、自分達に知的優越があるから、職人と全然立場が異
うことを誇り、そうして「工芸美術」と「実用工芸」とは生まれが違うよう
に考えたのである。そうして美のために作られるものは、用のために作られ
るものより、遥か高尚で上等だと考えたのである。事実今日の職人は教養の
点で個人作家達より遥か劣るから、そう言われても仕方がないし、又今日出
来る実用品は下落し切っているから、そういう批判も無理なく承認されるわ
けである。併しここに不幸なことには二つの結果が工芸界に現れたのである。
第一は「工芸美術」と「実用工芸」との判然とした分裂である。これを作家
と職人との分離と呼んでもよい。第二は職人工芸への侮蔑である。従ってこ
れは実用品への冷視を伴ってきたのである。
今の作家達は殆ど工芸の実用性を無視する。用は二次で美を一次と考える。
それでこそ工芸の位置は高まると解するのである。かくして実用を旨とする
ようなものは、低級だと考える傾きを生じた。それ故実用工芸からの隔離こ
そ、工芸美の発展であると解するに至ったのである。まして個性の表現が芸
術家の重大な意義となってきた近代に於いては、工芸も個性の所産であらね
ばならぬと主張されたのである。一言で云えば工芸を美術に高上せしめるこ
とがその目標となってきた。それ故人々は一つの作に向かって、それがどれ
だけ美術的であるかによって価値をきめる。「工芸的」という言葉は恥しみ
を以て用いられたに過ぎない。
だが現今示されているような、「工芸美術」と「実用工芸」との離反は、
近世工芸の悲劇的出来事であったと言わねばならない。何故なら個人作家の
勃興以来、漸次一般工芸は衰頽して来たからである。或る意味では衰頽した
から個人作家が起こったとも云えるが、併しそれによって民衆の工芸全体が
挽回されたのではない。否、益々下積にされ虐待されて了ったのである。個
人作家は自分の名誉を得ることには急であるが、工芸全体を高めようと努力
しているのではない。
そうかといって個人作家はどんな功績を歴史に残したか。私がしばしば指
摘したように、そのなし得た仕事は歴史家が書き立てるほどに巨大ではない
のである。在銘品の方が無銘品より常によいということは言えた義理ではな
いのである。「工芸美術」の勃興によって工芸の美的価値が深められたとい
うことは出来ない。今までの歴史家は簡単にそれを肯定しているが、それは
銘に滞っているので、物をぢかに見ての判断ではない。
今までは「工芸美術」の勃興を一途に工芸上の進歩と見做していたが、そ
れを退歩と考える方が寧ろ当たっている。何故なら今日までの最も巨大な工
芸時代を例にとると、(例えば西洋中世紀の如き、東洋での宋時代の如き)、
それ等の時代では工芸は一つであって、「工芸美術」と「実用工芸」との二
つにはっきり分かれてはいなかったのである。よし多少の対立はあっても、
その時代のものは皆無銘品であって、近代のようなはっきりした作家と職人
との差別はなかったのである。一律に用に即した工芸であって、所謂美術品
ではなく悉くが職人の作だったのである。一言で云えば個性の主張がなかっ
たのである。そうしてかかる時代に一番工芸が隆盛を極めたのである。
自我の自覚、個性の主張は歴史に現れた一発展とも見ることが出来る。併
しこの発展は必ずしも工芸を深めたということが出来ない。それは丁度自己
中心の思想態度が宗教を不純にした過程と似通っている。約言すれば工芸史
にとって「工芸美術」と「実用工芸」との対立、「個人作家」と「職人」と
の分裂は、少しもよき結果を約束しなかったのである。
五
それなら個人作家は今後どんな態度をとるべきであろうか。何事よりも実
用工芸を去ってこそ高い作物が現れるのだという迷夢を破ってよい。そうし
てそれとの隔離が工芸を深めると考える態度を棄てて了ってよい。これを表
から云うならばもう一度工芸を一つの流れに結ぶにある。作家と民衆との接
近にある。その協力にある。それ故民芸から去ることではなく民芸の生長を
助けることにある。職人への軽蔑は職人を救わず自己をも救わない。
自分のみがよい作を造るということは作家の最小の歓喜であってよい。作
家は何人にも出来ない作を造ることに腐心する。併し自分一人のみが出来る
作を造るより、誰にも出来る美しい作を示すことこそ遥かに大きな仕事であ
る。自己一人を高めるより、民衆をも高める道に出るのが仕事としても大き
い。或る人はよくこう告げる。自分一人すら救えないのにどうして他人が救
えるかと。だがそれは救いの一つの道であっても唯一の道ではない。寧ろ他
人と共に活くることによって一番よく自分の救いが果たされるのを見逃して
いるのである。丁度信仰が隠遁の生活を越えて衆生の済度へと進むのと同じ
である。将来の作家は単なる美意識の上にその製作を築くべきではない。そ
れよりも遥かに社会意識の上に工芸の世界を育てるべきである。社会意識の
欠亡こそ個人作家の共通の弱点である。
工芸を単に「工芸美術」に局限することは、作家の正しい又深い任務では
ない。工芸を一人の個性の仕事とするのは、もう過ぎ去った道である。作家
は社会人でなければならない。社会人たることのみが一個人としての存在を
価値づけるのである。個人の立場は民衆の立場と結合するものでなければな
らない。それなら民芸への交渉なくして作物の意義は深まらない。作家は自
己の作家たるよりも、民衆への作家でなければならない。彼はよき指導者で
あり暗示者であり統御者でなければならない。彼は彼自身の作に自分を活か
す以上に、民衆の作の中に彼を活かしてよいのである。自己が工芸の大成者
ではない。民衆の中に自己を大成せねばならない。大成者は結合された民衆
であって、隔離された自己一人ではない。作品は個人より生まれる時のみ美
しいのではなく、民衆の結合から生まれる時一層美しいのである。民芸に工
芸が栄えない限りその正当な発達はない。単なる個人の作の如きは小さな工
芸に過ぎない。工芸は個人に局限せられることを求めない。社会的良心はい
つか凡ての個人作家をしてその位置に止まることを許さないであろう。正し
い工芸美は常に社会美を示しているからである。今までは美意識が工芸の美
を育てると考えた。だが来るべき工芸家は社会意識に工芸の美を育てようと
するであろう。
(打ち込み人 K.TANT)
【所載:『工芸』 第4号 昭和6年4月】
(出典:新装・柳宗悦選集 第7巻『民と美』春秋社 初版1972年)
(EOF)
編集・制作<K.TANT>
E-MAIL HFH02034@nifty.ne.jp